プレゼントって、みんなどう選ぶのか。
大きく「自分があげたいもの派」と「相手が欲しいもの派」、そして「一般的に良しとされるもの派」3つのタイプに分けられるのではないか。なんて、まだ週も半ばの夜だけれど、じくじくと考えている。
昔付き合ってた人は、きわめて形式的な、つまり「一般的に良しとされる」プレゼントの選び方をする人だった。
小ぶりなピアス。華奢なネックレス。イヴ・サンローランの、ピンク色のリップ。ネイビーのバッグ。ネイビーの財布。ピンクゴールドの、北川景子の時計。
私は当時、大ぶりなアクセサリー(ゴールド)と、黒色が好きだった。そしてリップはピンク色だけは自ら付けない、と決めていた。時計は、アニエス・ベーみたいに少し変で機能的でない文字盤の、シンプルなものが好きで、これは今でもそう。
更に私は「相手が欲しいもの」を入念なリサーチの末購入する。忙しくてそんな時間が取れないときは、的を絞って一緒に買いに行く。
よく考えたら彼とは、そんなところも正反対だった。それでいつも彼がくれるものを好きになれなかった(金銭感覚以外、何もかも正反対だった。金銭感覚が合うことは楽だけれど、それが決め手でゴールインできるほどの失敗や成功を、経験していなかった)。
今思えば、とにかく厚かましいお願いだと承知の上で、それをきちんと伝えたら良かったのか。
少しも好みでない・かつ似合わないプレゼントが分不相応に高級であればあるほど、その虚しさは際立つ。普段から「私の中身など見てくれていない、尊重する気がない」という靄のように掴みきれない、でも確かな感覚を抱いていたが、記念の日には一層強く感じたものだった。
けど、もしかして私が心を開く気が無かったのかもしれない。結局優しくて金銭感覚が合うだけの彼との未来には少しの興味も持てなくて、別れたのだった。
今だから思うけど、プレゼントの選び方ってかなり個人の価値観が表れるのではないかと思う。
どの贈り方がどんな価値観、というのは言えないけれど、完全に表れると思う。
例えば私は、大切に思う人が一番喜ぶものをあげたいとおもう、その一番効率的な方法が一緒に買いに行く・指定してもらう、だと思う。どうせある程度きちんとお金をかけるのだから、空振りしたくない。コストパフォーマンスなどと言うと品が無いが、結局はそういうことだと思う。
対して彼は、「選ぶことに意味がある」と言った。
あれ、あれ?形式的では、無い?と思うけど、結局話を聞いてみると「今流行っているプレゼントリスト」の中から「店員さんにオススメされたもの」を選び取っていたようだった。そこに私の意志はほぼ介在しなかった。そしてそれはひどく寂しいことだった。
プレゼントにケチをつけるのは品がない気がする。だって貰い物なのだ、気持ちだけで嬉しいだろうが。という私とされどプレゼントなのだ、貰い手が嬉しくないなら無意味!という私が格闘を繰り広げている。
全然知らない人とこの話をしてみたい。
聞いてみたい。他にも選び方があるだろうか。
とにかく、そうして私は「プレゼント要らない派」となり得た。期待をしないこと。これに尽きる。プレゼント一つでギャーギャー言わない。ただし余計な高級品をもらうと「勿体ない」と、またじくじくしてしまうので、やっぱり要らないのだ。一つ大人になったと思う。