浅さ

 

 

 

気持ちより10倍くらい強い言葉で思っていることを吐いてしまったあとでこれまでにないくらいの自責の念に駆られる

 

 思い入れのない有名人が自殺すると、この人にも死ぬほどの鬱が訪れたんだと私は安堵感を覚えてしまう。

 

浅はかにも程があるな、ミス浅はかって名乗ろうかな、ふう。とそこまで考えてそのネーミングすら浅はかであると気がつく。

 

怠惰で浅はか、高慢。地獄みたいな人間だな、私は

 

 

 

 

 

 

 

 

目指しているところにいる人たちのインスタを見るのが最近億劫になりつつある。世界中に何人いるんだ、私の先人。途方もなく遠いところに先頭があって、そこはもうとっくの昔に水のそこに沈んで永遠の先頭になってしまっている。

 

私には何もできない、何もできないけど重たい片足をそれでも1歩ずつ前に出していくというメンタリティを忘れかける。

 

 

 

あと、連日ニュースで取り沙汰されてる問題がしんどい。きっと多くを積み重ねてきた人が、それは周知の事実であるにも関わらず、ひとつボタンを掛け違えたことで全部ぶっつぶされた。どんなに積み重ねたことも一瞬で崩れて、波に飲まれてしまうことを認めたくない、そんな事実を認めるのは、怖いことでしかないじゃんか。

 

生きていくのは結局苦悩に満ちて、いるよなあ

 

 

 

 

 

 

きょうのありがとう

 

 

 

ゼミのみんな笑っててくれてありがとう。

ゼミの先生、才色兼備のすごい大人でいてくれてありがとうございます。目標にするなんて言うのはとてもおこがましいけれど、すごいなあっていつも目を開かされる思いです。

 

お母さん、美味しいお料理をありがとう。

お父さん、新潟のお土産をありがとう。

電車の運転手さん、電車がなきゃ生きていけない。いつもありがとうございます。

 

 

ありがとうありがとうっていつもそれだけ考えていられたらいいよな。愛とか感謝とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

家にいるとダイニングに長いことじっとして視線はインスタとゲームとテレビと時折ペットの亀を行ったり来たりして、気がつけば16時で、みたいな生活を絶対にしてしまう。心も身体も停滞していく感覚があって、あれは本当に悪い生活。

今日久しぶりに学校に行ったら、なんだかそんな日の自分が嘘みたいに明るい気持ちになった。心を洗濯したみたいだった。全身に溜まっていた膿が出ていくような。

 

何なんだろうな。この、気持ちの浮き沈みや無気力は。鬱かと思って調べてみたけど、鬱はもっと、きつさが比じゃないみたい。ただの怠惰癖だと思うと目の前が暗くなる。社会人になって無理にでも外に出る生活をしたい。早く早く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイトのとき大抵昼をまたぐのですが毎度昼飯を買っていたら金が尽きるか身体が朽ちるかのデッドヒートが巻き起こってしまうのでお弁当とかおにぎりを家から持参して、社食のとこの電子レンジでチンし、30円のみそ汁だけ購入してお昼ごはんとして食べている。

 

なんとなくそこに違和感みたいなのを感じていて、なんだろうと思っていたけれど気がついた。これは、この行動は、ラーメン屋で水とお手拭きをもらって味玉だけ食べて帰るみたいな、置き換えればそういうことですよね。持ち込み禁止の社食じゃないから、そこは良いんだけど。

非常識なことなのかな。非常識なことなのか。非常識か?。それならば誰かこそっと教えてほしいけど、社食のとこの職員の誰とも、そんな間柄ではないしな。

でも昔菓子パンばかり買ってた時期に仲良くなった社食のとこのお菓子くれるおじさんが、みそ汁だけ買いに行くと複雑な顔をする。何かを察されているのか30円のみそ汁だけ買っていく小娘にムカついているのか。ムカついているんだとしたらなんか、ごめんな。

 

 

 

老け顔なのでこのバイト先の誰にも学生に見られたことが無いのがいやだ。金が無い学生ですという名札をつけて歩き回りたい。金が無い学生ならこの貧乏くさい昼食のとり方も許されると思う。学生だから。

 

 

 

 

 

きょうのありがとう

 

 

 

今日からこのブログはありがとう日記となります。ありがとうありがとう、ありがとうありがとうありがとうが、続くといいですね。

 

ありがとうありがとうって、ね、とても唐突だけど、ここのところ精神的な不調がずっと続いていて、満員電車や人混みで体が触れる人全員に対してつばを吐き続けるような、廃れたメンタルで生活していたら本当にどんどん悪化してきてしまったんです。その類の悪循環をどうにかして止めたいな〜と思って。

 

 

 

指が勝手に後ろ向きなことばを打つ。打っては消し打っては消し、最後には平井堅のノンフィクションを聴いて無理やり自分に納得するんである。

 

自分が何一つ持っていない人間であることを痛感し続けるのも疲れた。何か持っていると、思える日なんて来るのだろうか。少しでも自分に自信を持てる日が。自身さえあれば何も持っていなくても良いと思うのだけど。とりあえず、精神衛生的には。胸張って生きてる人が鬱になんて、なりそうもないじゃん。

 

 

 

 

 

 

ああ、ありがとう日記でしたここは。

 

今日のありがとうは、

バイト先の可愛い高校生、存在してくれてて本当にありがとう。おこりんぼお姉さん、つねに的確な指示をくれてありがとう。主婦さんたち、男のひとたち、笑っててくれてありがとう。彼氏、そばごちそうさま。街に連れ出してくれてありがとう。ふたりで美味しいパンかじってコーヒー飲んでるときが今日いちばんしあわせだった。

 

 

文章にすると気付いてなかったり忘れてたいろんな思いが出てくるのがやっぱりすごいな。私なんだかずいぶん幸せな日を、過ごしてたんだな。

 

情緒安定してなさすぎだな。