週報

月曜日おぼえてない

火曜日おぼえてない

水曜日全然そんなことはないけれど、表面的には明るくて誰とでも臆せず話せる的な人間で、あー良かったと思った。一次会はしぬほど頑張って報われたし二次会は断ることができたし全体的に嬉しかった。

木曜日みんなで1つのものを選ぶの超難しい。それ私別に欲しくないな〜と思ったけど言えなかった。喜んでくれるなら何でもいいけど。喜ぶのかな。あと、何が正しいかはわからないけど人の悪口いうのは本当に、損するだけなのだ、自分自身が。何度でも忘れるけど何度でも感じる。多分私の中でこれは真理なんだろう。美学に反することなんだろうな。とくに、もはや面白くもなんともないただの愚痴は。

金曜日私今日ちゃんと仕事したな。すっごい仕事した気でいる。けど全然足りない。悔しい。気がついたら何かと戦ってて、これがもしかして永遠と言う?噂の?あれ?思ってた永遠と違う。生きるって大変だな。もっとのほほんとしてたら、生きやすかったのではないか。あと、同期が私と比べられて怒ってた。今更何を比べるのか。今更比べられて何を怒るのか。双方おかしい話で誰も幸せになってなかった。うける。私は去年それ、死ぬほど悩んだんだけど。人に言われる苦しさも自分で勝手に卑屈になって比べてしまう苦しさも、全部噛み潰して飲み込んで、あんたに1ミリも見せまいと必死にやってきたんだけど。なのに、なんだ。強い人は、強がりすらしないのか。むかつく。目障り。しかし、そんなふうにはたったの、1ミリだって、見せてやらない。

 

何も面白くない愚痴、を、ここでは吐いてしまったな

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月曜 上司と2万歩くらい歩いた。私、この人と波長合う。

その後銀座で解散、そのまま彼と落ち合ってラーメン。行列を見ると大抵外国人旅行者。そうか、人気が集中してしまってるのね、と納得。しかし大抵どこで食べても美味しいです、銀座のラーメン屋。それにしても激戦区で驚く。私達は行列なしのラーメン屋さんに入りました。その後たまたま近くにいた友達と落ち合う。都内を飛ぶように走り回り、充足感のあった日。

 

火曜 昨日の疲労がダイレクトに下肢を直撃してだるい。私は物怖じしない性格であることを自覚した日。このブログからは想像しづらいかもしれないけれど、私は物怖じしないタイプです。

 

水曜 置かれた環境はさておき、あいも変わらず花ばかり眺めている。それはとても幸せなことだと感じる。これからどうするかとか、色々考えると落ち込むけれど。

 

木曜 勉強熱心なひと、みんな30超えると段々となにかを形にし始めるのだと感じる。もっと早い人もいるけれど、私はそのコースを歩んでいないので、あまり参考にならない。わたしも自分を高め続けたい、歳を重ねることに明るいイメージを持っていたい。若さは有難い、でもあまり頼りにしたくない。

 

金曜 少しずつ進めていた仕事が一気に、ぱたぱたと片付いた。気持ち良い。テトリスみたいだ。

 

土曜 母とお出かけ。自分に買うと思うとはばかられる金額のものも、母の服だと思うと買える、という謎の心境。自分の子供に、ではなく母にそういう感情を覚えることもあるの?親孝行できてない自覚があるからかも?まあ、楽しかったので良しとする。

 

明日は、雨が少しでも弱く、早く、止みますように。出かけないといけないので。

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月曜日

上司が業者さんに怒っているところ、

どうしたらよいかわからなくなり逃げてしまった。

誰かを守れる人にならないといけないし

上司がどんなことでそんなに怒っているのか、

聞くチャンスを逃してしまった。

 

 

火曜日

良い花壇が増えると良いなと思う。

私の完全な主観。

それにしても、タワーマンションってそんなに良いですか?

いつか怖いことが起こるのでは。と不安になる

 

金曜日

仕事、思うように進められない。

だけど身体が軽くなってきたしやる気はずっとある。去年よりたくさん笑っている。悪くない、状況は悪くないと思っている。

 

土曜日

女性の上司、毎土曜の予定に公開設定でオープンカレッジと記載しており色々強さを感じる。私も負けじと土曜の朝9時から予定をいれてみたけど、遅刻。だめだなあ

 

 

 

 

結局私を救えるのは私しかいないんだとおもったりして、そう実感したら他人の何も私には変えてあげられないし、なにかしてあげなきゃとか喜ばせなきゃとかそういうことは、無意味なんだって思えて、ずっと込めて生きてきた力が抜けた

 

結局私を救えるのは私しかいないし、あの人のことを私は、本当の意味では救えない

 

でも救われるといいね、みんな

 

みんな幸せになろうね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が行きたかった部署に配属された子が全然合わなくて結局会社自体辞めることになったりして、なんともやるせない気持ちになっている

 

主に会社に対して、私は怒ってる。

 

私なら、私なら辞めたりしなかった、

あれだけ覚悟をしていたのだから

などとも思ってしまう

 

でも結局私には、あんなに志望して熱意は行動で示したにもかかわらずその部署に配属してもらえるだけの何かが足りなかったんだと思うし、そう思うことでやっと今の仕事を受け入れられた。ある種の諦念も学んだ。幾分謙虚に客観的に自分を眺めるようになった。

会社はあの子の適正をうまく読み取れなかったし

その後のケアも不十分だった

 

 

 

 

 

とくに何かアクションを起こすことは、無いのだけれど。やれることなど無いと思うから。私らしくて大嫌いだな

変なところばっかり擦れてくなあ

 

 

 

 

 

今更あのやってみたかった部署に異動になったら、とかよく考えるんだけど、実のところもう無理だな、やれないなと思う。

 

理由はいくつもある。

大変な斜陽産業であること。実際、街には商売上がったり、な店ばかり溢れている。賃金が仕事量に見合わないこと。そんな感じなのに転職はしづらいこと。もっと楽して綺麗な格好して、休みはたくさんとって、うまいことやる人たちが世の中にはたくさんいること。

 

一度その渦から離れて見たら、その仕事は社会に山ほど溢れている仕事の中でそれほど魅力的なものではなかった。好きじゃなきゃ続かないよね、という類のもの。一度立ち止まった私には、もう再加速なんてできないとおもう。

 

 

 

 

 

 

 

 

何かを好きでい続けることは勇気がいるし疲れるし信じつづけることはそれより更に難しい。

だから、もっと自信を持っていいんだよ、ずっと模索するばかりでトライしてエラーしてそればかり繰り返してもう全身ボコボコでも、好きな気持ちに嘘をつかないで懸命にやってる、いつかを信じて何度でも起き上がる、その素直さと芯の強さには、自信を持っていいんだよ。

 

私へ。です

 

 

 

 

 

 

会社、いつ辞めようかなってそればかり考えてしまう。

私の望みが配属に反映されなかったこと、この先どう転んでも私が望むスタイルでの働き方はできないこと。ショックだったけど受け止め、配属された場所で学べることがあるはずだと思って、自分なりの考えで「いまは辞めない、ある程度、まあ3年くらい働いてみる」という決断をたしかに下したはずなのに。

 

でもこうして書いてみると3年続けてみるっていうのも学べることがあるはずっていうのも、なんて曖昧な目標と理由付けなんだろうか。

 

もっとくっきりさせないと。

 

 

 



 

旅行をして、素敵な中庭のある旅館に泊まった。中庭には池があって、大きかったり美しかったりする色んな鯉が泳いでた。近づいても下品に口を開閉させたりしない、高貴な鯉たちだった。ずっと見ていられるとおもった。